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電子メールの長い旅路 — ARPANETから1日4000億通の手紙まで

1971年に生まれたメール。JUNETからiモードまで — 日本と世界をつないだ通信の物語。


私がまだ若い局員だった頃、先輩の局長がこんなことを言いました。「郵便制度は、この国よりも古いんだ。人は何よりも先に、誰かに伝えたいことがあったんだよ」と。その言葉がずっと心に残っています。そして電子メールの歴史を見ると、同じことが言えるのです。メッセージを届けたいという気持ちは、ウェブよりも、ブラウザよりも、私たちがインターネットと聞いて思い浮かべるほぼすべてのものよりも先にあったのです。

一緒に、この歴史をひとつずつ歩いてみましょう。お茶をもう一杯、お願いしますね。


Email History & Evolution

1965年 — 共有机の上のメールボックス

メールがネットワークを越える前、それは一台のコンピュータの中だけに存在していました。MITのCTSS(Compatible Time-Sharing System)にあるMAILBOXというシステムで、同じコンピュータを使う利用者同士がメッセージを残せる仕組みでした。ネットワークには繋がっていません。速くもありません。でも、これが大きな流れの種となりました。

たとえるなら、ひとつの事務所の壁に掛けられた意見箱のようなものです。便利ではあるけれど、その部屋に来る人しか使えなかった。

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1971年 — 最初の手紙が回線を渡る

ここが、すべてが変わった瞬間です。

レイ・トムリンソン(Ray Tomlinson)は、BBN社のエンジニアでした。当時、アメリカ政府のコンピュータネットワークARPANETに関わる仕事をしていました。彼はファイル転送プログラムCPYNETを書いていましたが、ある日、それをローカルメッセージツールSNDMSGと組み合わせれば、ネットワーク越しにメッセージを送れるのではないかと思いつきました。

1971年の終わり頃、ARPANETで接続された隣り合う2台のPDP-10コンピュータの間でテストメッセージを送りました。何を書いたか本人も覚えていなかったそうです — おそらく「QWERTYUIOP」だったかもしれません。同僚にはこう言ったそうです。「誰にも言うなよ!これは本来やるべき仕事じゃないんだから」

そして彼の仕事で最も長く残ったのは @ の記号でした。ユーザー名とホスト名を区切るために選んだこの記号は、Model 33テレタイプで最も使われていない文字だったから。しかも便利なことに「at」(〜にて)という意味がある。この慣習は、今日まで一度も変わっていません。

ここで注目すべきことがあります。ワールド・ワイド・ウェブが提案されたのは1989年、HTTPが動き始めたのは1990〜1991年のことです。メールはウェブよりも約20年も早く生まれました。ウェブページを見る前から、人々は電子の手紙を送り合っていたのです。

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1973年 — メールが主役に

トムリンソンの実験からわずか2年後、ARPAが委託した調査で、ARPANETのトラフィックの75%がメールであることが分かりました。ネットワークは計算資源の共有や研究データのやり取りのために作られたはずでしたが、人々が一番やりたかったのは、互いに話すことだったのです。

これは私にはよく分かります。郵便局も最初は公文書や商業貨物のために作られました。でも毎日郵便袋を一番重くしたのは?誕生日カード、ラブレター、友人同士のちょっとした便りでした。

当時、メールは実質的にファイル転送プロトコル(FTP)に便乗していました。MAILおよびMLFLコマンドを使用してFTPにパラパークラスしていたのです。古いFTP関連文献を読む際には、このことを覚えておいてください。

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1978年 — 最初の迷惑郵便

1978年5月、DEC社のマーケターゲイリー・スアーク(Gary Thuerk)が、約400人のARPANETユーザーに無断で宣伝メールを送りました。売上1,300万ドルに繋がったと本人は主張しましたが、すぐに非難を受け、「二度とやらないように」と言われました。彼は「スパムの父」と呼ばれることになります。

郵便局長なら誰でもダイレクトメールの山は知っています。でもこれが、デジタル世界で最初の迷惑メール — 最初のメール送信からたった7年後の出来事でした。

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1982年 — 郵便路が正式に整備される(SMTP、RFC 821 & RFC 822)

それまで、メールはFTP(ファイル転送プロトコル)に便乗して送られていました。たとえるなら、手紙を貨物トラックに乗せてもらっていたようなものです。動きはしましたが、そのために設計されたものではなかった。

1982年、IETFはSMTP(Simple Mail Transfer Protocol)を開発し、RFC 821として発行しました。メール専用の配達路ができたのです。同時に、デイブ・クロッカーRFC 822でメールメッセージの標準フォーマットを定めました。RFC 821が郵便トラック、RFC 822が標準封筒。どの郵便局でも読める形式です。

ちなみに、日本国内ではこの年にNECのPC-9801が発売されました。翌年には任天堂のファミコン。メールの基礎が固まった時代は、日本のパーソナルコンピュータの夜明けでもあったのです。

1983年1月1日、ARPANETはNCPからTCP/IPに切り替わり、現代のインターネットが動き始めました。

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1984年 — JUNETの誕生 — 日本のインターネットの起源

ここからは、日本の物語です。

村井純さんは、慶應義塾大学から東京工業大学に移ったばかりでした。古巣の慶應にはまだ研究仲間やデータが残っていて、磁気テープで物理的にやり取りするのが大変だった。そこで、モデムを使って両大学のUNIXコンピュータを電話回線で接続しました。通信速度は300bps — 今の10万分の1ほどです。

東京大学の石田晴久先生が「3つ以上つながってはじめてネットワークと言うのだよ」と言い、1984年10月に東大が加わりました。こうしてJUNET(Japan University NETwork)が生まれました。愛情を込めて「純ネット」とも呼ばれたそうです。

JUNETは電話回線を使い、UUCPという仕組みでバケツリレー式に電子メールとネットニュースを配送しました。郵便でいえば、隣町の郵便局に手紙を渡して、そこからさらに次の町へ、と順番にリレーしていくようなものです。

1985年1月にはKDDの技術者たちの協力でアメリカのCSネットに接続され、海外の研究者とメールのやり取りができるようになりました。上司から「我々のサービスをタダで提供するな」と詰問された技術者が「日本のネットワークの発展のためです」と説得したという逸話が残っています。

最終的にJUNETは600以上の組織を結ぶネットワークに成長しました。日本のインターネットの実質的な起源です。

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1986〜1987年 — パソコン通信の時代

大学のネットワークとは別に、もうひとつの流れがありました。パソコン通信です。

1986年PC-VAN(NEC)、1987年NIFTY-Serve(ニフティ)が始まりました。加入者同士で電子メールをやり取りできましたが、PC-VANの利用者はNIFTY-Serveの利用者にはメールを送れない — それぞれが独立した「郵便局」のようなもので、隣町とは手紙が行き来しなかったのです。

後にインターネットの普及に伴い、パソコン通信各社はインターネットメールとの相互接続を実現しますが、当時は国がOSI(Open Systems Interconnection)という別の国際標準を推進していたため、TCP/IPベースのインターネットとの接続には規制の壁がありました。

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1991〜1993年 — 日本語メールの課題とMIME

電子メールは元々7ビットのASCIIを前提に設計されていました。つまり、英数字しか送れない。日本語でメールを書くことは、そのままでは不可能でした。

JUNETでは独自にJIS規格に基づく日本語の扱い方を決め、これが「JUNETコード」と呼ばれました。1993年にはこれをMIMEの枠組みで再定義したISO-2022-JPRFC 1468として公開されます。これが現在でも日本語メールで広く使われている文字コードの起源です。

一方、1992年にはMIME(Multipurpose Internet Mail Extensions)RFC 1341として標準化されました。MIMEによって、メールは添付ファイルを運べるようになり、ASCII以外の文字セットもサポートされました。

郵便局長として言えば、これは手紙だけでなく小包も受け付けるようになった日と同じです。そして日本語で宛名を書いても届くようになった日でもある。

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1991年 — その頃、ウェブが生まれる

時系列を整理しておきましょう。1989年、ティム・バーナーズ=リーがCERNでワールド・ワイド・ウェブを提案しました。1990年に最初のウェブブラウザとサーバーを構築。1991年8月に一般公開。

その時点で、メールはすでに20年間動いていました。プロトコルも標準も整い、何百万人ものユーザーがいた。ウェブは新参者。メールは先輩でした。

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1996年 — ウェブメールの登場

1993年以前は、メールを送受信するにはパソコンに専用のソフトをインストールする必要がありました。1996年、Hotmailが最初の無料ウェブメールサービスのひとつとして登場。ブラウザさえあれば、どのパソコンからでもメールが読めるようになりました。翌年にはYahoo!メールが続きます。

日本では1996年にBecky! Internet Mailが登場し、人気のメールソフトとなりました。また同年、MicrosoftがOutlook 97をリリース。メールは急速に一般の人々の生活に入り込んでいきます。

全国どこの郵便局でも自分の手紙を受け取れるようになったようなものです。

「Becky!」は懐かしいねー。

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1999年 — iモード — ポケットの中の郵便局(日本の革命)

1999年2月、NTTドコモがiモードのサービスを開始しました。携帯電話からインターネットメールを送受信できる、世界初の携帯電話IP接続サービスです。

それまでの携帯電話のメッセージ機能(ショートメール)は、同じ通信キャリア間でしか使えず、文字数も限られていました。iモードメールはインターネットメールとして他キャリアやパソコンともやり取りでき、パケット通信のため料金も安かった。しかもプッシュ型 — メールが届くと自動的に知らせてくれる仕組みです。

12月にはiモード契約数が300万台を突破。iモードユーザー同士で使える絵文字も爆発的に普及しました(この絵文字が後にUnicodeに取り込まれ、世界中のスマートフォンで使えるようになるのは、また別の話です)。

「メールチェックしに会社に帰る」ということが当たり前だった時代に、手のひらの中に郵便局が現れたのです。アメリカではiPhoneの登場が2007年ですから、日本のケータイメール文化は世界に8年先行していたと言えます。

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2004年 — Gmailが常識を変える

2004年4月1日、GoogleがGmailをリリースしました。エイプリルフールだと思った人も多かったそうです。当時の他社サービスの500倍にあたる1GBストレージ、スレッド式の会話、強力な検索機能を備えていました。

Gmailは近代的な郵便局がどうあるべきかを世界に見せました。整理された、検索できる、広々とした場所。現在、約18億人のアクティブユーザーがいます。

同時期に、メール認証技術も進みます。SPF(承認済み配達員リスト)が2006年、DKIM(封蝋の印)が2007年にRFCとして策定されました。

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2011年 — LINEの登場、そしてメールのその後

2011年3月の東日本大震災。携帯電話網がパンクする中、Wi-Fiに対応したスマートフォンが注目を浴びました。同年6月LINEが登場。キャリアメールに代わるコミュニケーション手段として急速に普及し、2014年には国内利用者数が5,200万人を超えました。

若い世代を中心に、日常のやり取りはLINEやSNSのメッセージに移り、キャリアメールの利用は減っていきました。2021年には大手3社の新料金プラン(ahamo・povo・LINEMO)でキャリアメールが外されたことが象徴的です。

しかし、メールそのものがなくなったわけではありません。ビジネスの世界では、今でもメールが公式な通信手段の中心です。契約書の確認、請求書の送付、取引先との連絡 — 大切な手紙は、今でもメールで届きます。

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主要なRFC — ルールブック一覧

メールの仕組みを定義する主要なRFCをまとめました。

RFC 定義した内容
RFC 821 1982 SMTP — メール送信プロトコル(後にRFC 2821→RFC 5321に更新)
RFC 822 1982 メールメッセージのフォーマット(後にRFC 2822→RFC 5322に更新)
RFC 1341 1992 MIME — マルチメディア添付(RFC 2045〜2049で改訂)
RFC 1468 1993 ISO-2022-JP — 日本語メールの文字コード
RFC 1939 1996 POP3 — 郵便受けから手紙を持ち帰る
RFC 3501 2003 IMAP4rev1 — 郵便局で手紙を読む
RFC 5321 2008 現行のSMTP標準
RFC 5322 2008 現行のメールメッセージフォーマット標準
RFC 6376 2011 DKIM — 封蝋の印
RFC 7208 2014 SPF — 承認済み配達員リスト
RFC 7489 2015 DMARC — ポリシーマニュアル
RFC 8617 2019 ARC — 転送時の取扱い記録の連鎖

参考: IETF Datatracker


2025年 — 今、ここにいます

2025年現在、世界中で毎日約3,760億通のメールが送受信されています。メールユーザーは約46億人 — 世界人口の半分以上。2027年までに、1日あたりのメール数は4,000億通を超えると予測されています。

1971年、レイ・トムリンソンは隣り合う2台のマシンの間で、内容さえ覚えていないテストメッセージを送りました。1984年、村井純は研究データを運ぶ手間を省くために300bpsの回線で大学同士を繋ぎました。そこから始まった手紙の旅は、今や1日に天の川銀河の星の数を超えるほどの規模になっています。

それでも基本は変わっていません。今もSMTPを使い、今も@記号を使い、メッセージは送り手から受け手へ、ルーティングと仕分けを経て届けられる。郵便制度と、まったく同じように。

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すべての手紙は、誰かにとって大切なものです。それは1971年もそうだったし、村井先生が300bpsの回線で慶應と東工大を繋いだ1984年もそうだったし、iモードで初めて絵文字付きのメールを送った1999年もそうです。

技術は進みました。ARPANETからクラウドへ、ASCII文字だけのテキストからリッチメディアへ、数百人の研究者から数十億人の人々へ。しかし目的は一度も変わっていません。誰かがメッセージを書く。誰かがそれを受け取る。そしてその間で、静かにシステムが働いて、届けてくれる。

ゆっくり味わってください。急ぐ必要はありません。手紙は待ってくれますから。